三重校生に見舞われました。
ちょっとたくさんだったので、なんかますますちょっと鑑みたり。あ、西野カナさんの母校、後輩のみなさんに見舞われながら、帰ってきました、こんばんは、シェリルです。
ポップソングとは、本当に素晴らしいものですね。カナさんの書いてきた、美しい歌詞たちは、日本の今の青年期の方の、マイルストーンでしょう。あたしも、おばんですが、愛しています。
ポップスと、いうのは、ふざけていない方が、より大きな感謝を生みます。そこを、カナさんは、特に深く、考えて取り組んできた、結果であったろう、と、考えます。
人が、誰かに真実を、伝えたいとき、啓蒙、啓発を、もし、本当に根っから願うのであれば、それは愚直に、比喩に託すしかないというのが、当然事実だったりします。
いつも、麗しい彼女の、一番のポップチューンは、今日、取り上げるこの曲だろう、と思います。いつも、音楽ができるためには、どういう感じで、鑑み、取り組めばいいか。彼女の脳裏には、音楽の響きに、愚直なまでにフェイントで、届けたい、ああ、誉れ高い信じたい気持ちが、ふんだんにあるものと、思います。
いつも、いつでも、今は共にない人の、ことを祈り、思い。そうして、音楽であるということの、喜びとともに。そのいつかの、彼への、感謝の念を、気持ちを、今、重ねて、この曲へ寄せて、完全な真心として、書いておきます。
この曲は、かつて、半分であった自分が、ひとりだけになったときに。片割れを思いながら。涙を拭って。声を張り上げて。歌い上げてきた、ヒットチューンです。
今日、この日、書いておきます。
あなたが、大好きだった、彼を思い出します。