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なんか時代劇に触発されたのか(笑)。

 ひさしぶりに、元ちとせさんの、若い頃の曲を聞いています。和の声、楽曲選定、製作に大変コツが必要だろう、彼女の作品群。あんまりたくさん聞いたことはないのですが、それにしても、この世で一番美しいだろう美声に、うんうん言いながら、酔いしれています。

 昨日は、NHKの大河ドラマ、2週間遅れでのスタートになりました『麒麟がくる』を拝見しました。ちょっと気になるところがあって、なんか思い当たる節もあって、元さんの音源を聞いています。あたしはもうちょっとフランクな作品だと、彼女のものを思っていましたが、実はもっと、宿命であるとか、運命であるとかが、重い、あまりに熱いものであることに、好ましくも、嬉しい濃さを感じています。

 離別を歌った曲が多いように思います。人間とは、若い頃から、逃れられぬ何かを、感じることなく、けれども、真っすぐに、その轍を生きている生きものです。

 北斗七星の似合う、この日本で、どうして、こんなに、現代社会、令和へ変わりはしましたが、の、中で、生きているということの真実を、アーバンでなしに、リリカルに歌ってきたのだろう、と、思いました。

 人は、誰かの扶けを得て、必ず、夢のような奇跡を貰い、やっと普通に生きていけるようになる、そんなリリカルな生きものです。

 昨日、拝見した、快活で喜怒哀楽が多いという、新しいらしい、明智光秀像を、描いた、『麒麟がくる』を、拝見し、例えば、そこが、比較的近い場所である、岐阜県の美濃地方ですね、であることに、じっくり取り組みました。

 好ましい人だな、と、ひと目で思いました。

 いつでも、明智光秀が、主演の長谷川博己さんの中に、取り憑いているんでしょうかね(笑)、今張り付いているみたいですね。あたたかいな、と、クーデターの主人公を見ながら、思うというのは、罰当たりなことかもしれませんが。あたしは、彼は、正しい、ということを、具現化した、分水嶺のような、方だったと、ちょっと思いつきました。確かに、過去、実家で時代劇が好きな家族に囲まれているときには、そう思っていたな、という。記憶もありますし。

 正しいけど、なんかそこに、自分へ対する、圧力的な、無理があったのだろう、と。けれども、正しいから、どうしても、悪戯っ子のような気持ちで、そうしてしまうのだろう、と。で、それが、やっぱり、誠実で、真っ青になるほど、難しくて、それでも、そうしたのは、社会への、世界への、礼儀だったのだろう、と。

 思いました。

 今日は、元さんの、「あなたがここにいてほしい」です。いろいろ思います、繰り返しとは、何かをも。ややこしいですが。

 自分に宛てられている手紙のようにも、思えるのかも、しれません。