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永遠を前に、散る花。

 今日は、アメリカで、同時多発テロが、起きた日です。2001年でしたから、丸18年です。21世紀に入って、最初の大きな悲劇だったと、今も比較的、鮮明に書けたりします。あたしもショックで、名古屋港まで、行って、報道を聞きながら、世界とは何かなあ、と、考えたのでした。

 いろいろと、この9月のこの日ぐらいまで来ると、永遠に続かなかった、輪廻のような、悲しみを、察し、そっと涙を拭ったりします。

 今、9月の空。雷がまだ鳴っています。雨の日には、傘をさすものですが、晴れの日にも、最近は、傘をさすのが、男の人でも、似合いだ、とお聞きしました。そう、日傘ですね。だって、暑いですもんね。

 さっき、友人たちが(なつかしいひとです)、扇風機を首から下げて、草刈りに行くんだ、と、出かけていきました。雷だいじょうぶなんだろうか(笑)。気になります。

 その友人の顔を見ると、ときどき、母の大好きなあの人のことを、思い出します。なつかしいひとです。忘られぬ、ひとです。

 夏の頃の、スコールは、美しい。大地を冷やすためのギフトでもありますが。今と、ありし日で、いかばかり、そのスタイルは変わったでしょうか。あたしは、20世紀の頃も、そうだったように、思いますが。

 いつも、この心に、巡り合いの奇跡が、あります。

 学生時代、というか、少年、少女の頃に、あたりまえに、セット運用だった、そんなことは、珍しいかな。あたしは、そうじゃなかったので。ですが、いつも、気の合う、少年少女の、大人になってからの、取り組みが、実るものであることは、大概、ないのも、事実だなあ、と、今日は、ちょっと思えたりします。

 意外と、道をわかつ、そのことも多いです。何もかもが、永遠でないと、信じていた頃。ビニール傘で、削減とか、思えていなかった、頃。なつかしい、そのひとが、去っていった、そんな事実が、18年前の、テロリズムのように、ぎーん、ぎーんと、あたったりしますね。

 もうぼちぼち日がさしてほしいのですが、まだ、雨のような。そうして、オレンジがかった、光線のような、空。また雷鳴。

 今日は、意外でしょうが、この曲。

太陽の下

太陽の下

 永遠という言葉は、とても良く似ています。