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globe『FACES PLACES』(97.03.12)

FACES PLACES

 この時代、小室哲哉プロデューサーは、何を視ていたのでしょう。彼が、このテクノアレンジの、名曲ばかりのユニットを、立ち上げ、表現したかったものとは、あったのでしょうか。きっと動機などなく、ある意味自動的に、流動的に立ち上げた、自然な発想だったのだろうと、思います。20世紀末、残り後3年の時代、風景はまさに真っ盛りにあなたを願いながら、あなたはそこに居なかった気がします、ひんやりと。

 音楽は、世紀末に似合いだった気がします。青春の只中に居る君達は、全く異なる風景の中、彼の引き際を、是非見てほしいと思います。小室さん、あなたは、あの頃のシンジケートを、肯定していたのでも、俯瞰で視ていたのでもなかったのですね。誰でももし人間が人間で有りたいなら、男女はその性差でなく、自分としての性に寄せることのない、自在さを持たなければなりません。本当に有ること、無いこと。この名盤に収められた楽曲達は、異常とは何か。それを力説している将義そのものです。

 香車で攻めるがの如く。喪った何かを防ぐふりをしてみたり。その夢(ドリーム)、その距離、その受け渡す早さに、答えねばならないあなたは、消耗品でしかなかったでしょうか。それが悲し過ぎる世間の罪です。鍵には、キーホルダーを付けるもの。現在、振り返り、小林武史プロデューサーの、トラッド(伝統)で、あまりに大きな自分となった、筆者本人はこう握ります。違和感にマシンガンを。誠実な人は敗けやすいのでしょうか、それでもあなたは、自分を誇り、胸を張ることでしょう。

 あなたは、奥様のその歌と、行動性に溢れる魅力溢れる声を、誰よりも誰よりも愛していますね。この盤がこのような、信頼に満ちた場所になっているのは、奥様の存在が大きかったでしょうね。やれば、できる。為せば成る。生涯はフリースタイル、運命が切なくとも、それにしても、哲学書より、よりセクシーなこのアルバムは、何かを猥褻に語るのでなく。これはしちゃダメだよ、と。厳格に語っています。トリガーを弾くたび、涙を拭うたび、生命と立ち向かう時、人は大きな勇気を、そう勇敢さを必要とします。

 それにしても、はちゃめちゃに素晴らしい旋律ばかりですね。派手で、大人しく、あなたそのものです。あまりに計算高いアレンジメントに、舌を巻きました。あなたは、打楽器にどんな理解を、価値観を抱いてらっしゃるのだ。あまりにズル賢く、そこが好みですよ。