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鬼束ちひろ「End of the world」(19.03.27)

 

End of the world

End of the world

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 今、ここにある、元号が変わる、という事実と、その変化するという、恐怖を、裏切り、美しい名「令和」を、受けて、今日、この日、鬼束ちひろさんの、「End of the world」を、ご紹介したいな、と思います。

 「平成」から「令和」へ。新しい世界のはじまりは、もちろん、ひとつの世界のおわりを、意味しています。今年、やわらかな笑顔で知られる、あたしの県、三重県松阪市というところの、歌姫、西野カナが、活動休止しました。

 彼女は、「平成」生まれの、「平成」を代表する歌手で、その彼女がいない、日本の音楽シーンが、やっぱりちょっと物足りないな、とか思うのも、ひとつの、世界のはじまりと、おわりを、示しているな、という気も、しています。

 そうですね、この鬼束の楽曲は、大きな、因果とでもいうべき、変化する時代に、普遍的に、永遠を見るような曲でして、美しい響きに、この先の「令和」の時代にも、音楽があり、そうして、久遠にも思える、パートナーシップがある、そんなことを、聞き取れたり、します。男と女の関係性で、ふたつある、尊いことは、あなたがいるという喜びと、あたしが理解してもらえる楽さ加減であると、思います。

 この曲は、女性が主人公の曲です。そうして、彼女は傷を負った、悲しい人に見えます。けれど、それを理解してくれるパートナーも、同じくらい、何かにまみえた、美しい人なのだろうなあ、と思います。

 これは、鬼束が書いた、誰かのためのものがたりです。誰かが、誰かのモーメント、瞬間ですね、を生きるために、背中を押してくれるための。それは、とても、大きく、美しい、あなた、鬼束ちひろの生きがいですね。だいぶ、あたしも、あなた鬼束も、遠い道をくだって、「平成」から「令和」へと、久遠の道を生きていると思います。

 あたしは、西野の松阪の街を、愛しています。暗記するほど、松阪の繁華街も、その最寄り駅も。彼女が、彼氏とデートしたりしたことがあるのかもしれない、それらの場所を、存じ上げています。そんなある日、ふっと、寂しげな女性を、あたしが目にしたことがあります。そんな光景を、率直に今日は書いてみたいなと、思い、書いてみました。彼女に、優しい紳士が、寄り添えば、もしかして、何ももう適わない世の中であったとしても、蹴り飛ばして、世を壊して、いける、と思います。どうですか、あたしもいっぱいいっぱいで書きましたが、よかったです。