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自分が得た、想いを、投じる、おとぎ話の歌手

<どれほどの濃い愛を味わって 今わたしを抱きしめてくれたのだろう>

これは、西野カナさんのデビューシングル「I」の、2番の歌詞ですが、彼女が、このデビューシングルにたどり着くまでに、どれほどたくさんの作詞をしたのだろうか、と、ふと鑑みてみました。

作詞は、何にせよ、実体験、もしくは人生、そのもの、もちろん自分のですよ、を題材にすることが、一番大切ですし、普遍的にふつうのことです。けれども、ずっと、歌手をいつまでもしていきたいとき、自分の誠実な情熱を持って、誰かの心に寄り添うような、架空の物語を書いていきたい。そう、彼女は思ったはずです。それは、自分が、ややついていない、事実において、それを理由にしたくなかったから、だろうと思います。

彼女は、遠い目をしながら、かつて巡り会った、素晴らしいボーイフレンドのことを、時々思い出しているみたいでした。かけがえのないひとを。そうして、そこから立ち上がり、誰かの心に添える、優しい物語を、嘘ではなく、メタファーとして綴り、奏でていきたいな、と、不屈の情熱で思ったのです。

けれど、楽曲とは、やはり事実に基づいた曲のほうが、派手に、伝わりやすく、聞こえるものなのです。

けれども、彼女は、諦めませんでした。

何年も、何年も、シビアに書き、自分を綴り、時にメイクを磨き、ヒールを履かなくなって。さらには、彼が教えてくれた歌を、時折聞き返しながら。過去と未来の行き来する中、なんとなく日々を暮らしてきたのだと、書いてありました。あなた、とは誰だったのか、自分とは誰か。そうして、生まれた街とは、選ばれた街とは、はたまた、遠いシリアスとは何かを、彼女は、天才的な頭脳で、読み解きながら、生きてきたのです。

離別。メイクを磨く。シェリル・クロウという、アメリカを代表する、世界でも有数のシンガーソングライターの曲に「If It Makes You Happy」という、よく似た内容の曲があります。素顔を、笑顔にする魔法が必要、というけど、それが必要な時、女は、すごく追い込まれているものだと、思い出しました。

それはそうとて、あたしは、さっき、初めて気づいたのですが、これって、最近の「トリセツ」とかでなくて、もっと初期の時のカナさんの話ですよね。たしかに、カナさんは、その頃は…、もしかしなくても、すっかりその当時のリアルを忘れるほど、充実した仕事をして、いい恋愛(つうか片思いだろうね)をして、うっかりすっ飛ばした、何かがあったんだね。

うーん。まとめとしておかしいが、まあこんな感じかいな。カナさんの、不可思議、少しは表現できたものと思います。

そっかあ。